• 山口祥兵

「この子を、死なせない──」 夜間救急の現場で奮闘する救急獣医師の想い(日本小動物医療センター 森田肇先生)

更新日:1月26日

人間同様、動物の夜間救急もまた命の瀬戸際だ。またそれは、夜間勤務という点でもリスクやプレッシャーの大きさという点でもハードな職業である。そんな救急獣医療に魅入られたのが、森田肇(もりたはじめ)先生だ。過酷な業務の裏側に、彼は何を見出したのだろうか。救急現場の実態と彼を支える想いを明らかにする。(2020年10月21日取材)



救えなかった命


物語はとある日の夜に森田少年が一人留守番をしているところから始まる。


いつものようにくつろいでいると、突然インターホンが鳴った。

おかしなものだ。夜遅くに訪ねてくる人などあろうはずもない。彼が住んでいたのは人通りも少ない田舎町だったのだ。

少々怪訝に思いながらも恐る恐る玄関に出てみると、そこには若いカップルがいた。


「どうしました?」と聞いたんです。すると、家の前で犬が轢かれていたみたいで、「お宅の犬ですか?」と質問されて。

犬が轢かれている? それも家の近くで?


もしかしたら、と最悪の可能性が頭をよぎった。

飼い犬が事故に巻き込まれたのかもしれない。

いてもたってもいられず、現場を見に走る──。


そこにいたのは、彼の飼い犬ではなかった。

だからといって見過ごせるものでもない。


だが、当時小学生だった彼に何ができただろう?


もちろん処置の仕方など知るはずもない。誰に助けを求めるべきかもわからない。

カップルから「付近に動物病院はないか」と尋ねられても、「わかりません」と答えることしかできない。幼い日の彼にとって、動物病院は馴染みの薄い場所だったのだ。


二人は「そうですか……」と、すごく残念そうに去って行って……。当時の僕に知識があったら、その犬を助けることができたかもしれないと考えて、命に携わる仕事に就こうと思いました。

こうして芽生えた「動物の命を救いたい」という想いを胸に、森田先生は獣医師になった。

救急獣医師 森田肇
森田肇先生


心の支え──とある患者さんとの出会い


動物病院の開業を目指していた彼は、一般の動物病院に5年間勤務して経験を積んだ。

仕上げに救急対応のノウハウを身に着けてから開業しよう──そう考えて救急を学び始めたところ、思いがけずその世界にのめり込んでしまったのだという。


最初の病院に勤めていたときには、動物を診ることよりも、飼い主さんの心のケアをすることの方が大切だと思っていました。飼い主さんあってのペットなので。でも、救急の場合は適切な処置をすることによって、ダイレクトに命を救うことができます。その成功体験を知ってしまうと、救急の世界から抜け出すことができないんです。

現在勤務している日本小動物医療センターに出会ったのも、救急に対する興味がきっかけだった。


どこで救急を学ぼうかと悩んでいた矢先に、日本小動物医療センター消化器科の科長の先生とお話する機会があったんです。「夜間救急をやっている良い動物病院を探しているんですよ」と相談したら、「じゃあ、うちで一緒に働こうよ」と言ってくれたのがその先生でした。

森田先生は二つ返事でその誘いを承諾し、日本小動物医療センターで勤務することになった。同病院で消化器科と救急診療を経験したのち、現在は救急診療のみを担当している。


救急診療は主に夜間に行われる。森田先生が担当している診療時間は、夜の9時から朝の5時だ。その後に雑務をこなすなどしていると、帰宅するのは昼前になるという。

救急医としてそのようにハードな日々を送る森田先生だが、そんな彼を奮い立たせてくれるエピソードがあるという。


獣医師になって一年目か二年目のことです。腎臓病のわんちゃんがいて、週に二、三回点滴のために通いに来ていました。

腎臓病になると、徐々に食欲を失っていくことが多い。腎臓病患者用の餌を与えるのが基本ではあるが、食欲を失ってしまい、何も食べなくなってしまうこともある。


「何でもいいから食べて……」という状況でした。今でもそうですが、自分についた患者さんのためにできることを必死に探すんですよ。「この前あげたご飯はどうでしたか」とか、飼い主さんとああだこうだ話していました。

森田先生も飼い主も、必死の努力をした。

しかし、その犬はあるときから全くご飯を食べなくなってしまった。


わんちゃんはすごくいい子だったんです。僕に尻尾を振ってくれるわけではないけど、点滴もおとなしく受けてくれるような。でも、とうとうその子との別れが来てしまって……。

ある日曜日のこと。

午後のセミナーを控えた森田先生のもとに、飼い主が挨拶に来た。


その腕に、飼い犬の亡骸を抱えて。


飼い主と話しながら、気付けば涙を流していた。

亡骸を目にして、どうしても感情を抑えきれなかった。


そんな彼を見た飼い主は、彼のことを優しく叱咤した。


「先生、泣いちゃだめだよ」と……。「先生は、これからこういう現場を嫌になるほど見るはずだし、もっとたくさんの子たちを救わなきゃいけないから、こういうことで泣いてたらだめだよ」と言ってくれたんです。

帰り際、飼い主が発した言葉は「でも、本当にありがとうね」だった。


感謝の言葉を耳にした嬉しさからか、はたまた悲しさからか、彼は再び涙を流した。セミナーの内容もまともに聞くことができないほどに、泣いていた。


飼い主の方は最期の別れ方に満足してくれました。僕としてはあの犬が亡くなったことは悲しかったけれど、成長するきっかけになりました。一生忘れないです。気分が落ち込んだときは、この記憶を思い出して、「よし、がんばろう!」と自分を奮い立たせています。

あのとき、飼い主から受け取った言葉の一つ一つが、森田先生の原動力になっている。


動物と飼い主に別れの機会を与えること────これも、彼の力の源の一つだ。


救急では、蘇生処置として心臓マッサージをすることが多いんです。心臓マッサージをして、ちゃんと心臓が動き出して、飼い主さんとペットを「生きている状態で」引き合わせることができたときは、たまらなく嬉しいです。

しかし、心臓マッサージのセミナーをしていると、「心臓マッサージはパフォーマンスでしょ」と心ない声が投げかけられることもある。心臓マッサージは、飼い主を納得させるためだけの行為だとする意見があるのだ。

森田先生は、その声に反論する。


病気の程度や心臓が止まってからの時間などにもよりますが、半分くらいの子はもう一回心臓が動き出すと言われています。声は聞こえていないとしても、心臓が動いていない状態の子に「ありがとう」と言うのと、心臓が動いている状態の子に「ありがとう」と言うのとでは、意味合いが全く異なると思っています。

心臓マッサージをしても、必ずしも命が救えるとは限らない。

しかし、思いの丈を伝える最後の機会を用意できるかもしれない。

そうした経験を持つ森田先生は、少しでも多くの飼い主と動物の別れをより良いものにするため、効果的な心臓マッサージ手法の普及に努めている。


正直、「心臓マッサージしたって心臓は動かないから無駄だ」とか「パフォーマンスだよ」とか思っているんだったら、もうこの仕事は辞めています。身体も辛いし、眠いし、あまりまともな生活はしていない。それでも、「助けられるんだ」ということを身をもって知ってしまったから、今も続けているんです。

「命に携わる仕事をしたい」という想いから獣医師になった。

そして、命を救える喜びから救急の道に進むことを決めた。

そこに待っていたのは、予想以上にハードな日々だったかもしれない。それでも、あのとき飼い主から受け取った言葉が、飼い主と動物に最後の時間を与えたいという想いが、今日も彼を奮起させている。



二つの顔


並々ならぬ想いを秘めて、救急獣医師として奮闘する森田先生。

彼の熱意は人脈の形成にも注がれている。


一人でできることには限界があるから、いざというときに質問をできるように人脈を作らなければとずっと思っていました。なので、獣医師の方には極力話しかけるようにしていますし、セミナーのときなどは積極的に質問をしています。

自身もセミナーや講演に登壇する森田先生は、「『質問ありますか?』と聞いて、質問がないときほど悲しいことはない(笑)」と語る。そのため、答えがわかっていても確認の意も込めてあえて質問をすることもあるという。


質問を通じて先生とやり取りをし、セミナーや講演が終わった後には、機会があったらお話をしに行くようにしています。

セミナーや講演をただ聞いただけで満足してしまう人も多い中、森田先生はその場を新たな人脈を作る場としても活用しているのだ。


また、彼が人と会うときに徹底していることがあるという。それは「挨拶」だ。


人とすれ違ったときに、挨拶をするかしないかで印象が変わります。一回でも会ったことがある人や顔を見たことがある人には「こんにちは」って挨拶をして、顔を覚えてもらうようにしています。

森田先生の積極的な態度や人好きのする性格、挨拶を欠かさない礼儀正しさには、多くの人が惹きつけられることだろう。インタビューの最中も終始にこやかに話す姿が印象に残った。


しかし、救急の現場での彼の顔は、普段のそれとは異なる。


救急の現場では、飼い主さんと話している間に動物が死ぬことがあり得るんですよ。なので、あえて、飼い主さんとはニコニコしながら話さないようにしています。

このように話す森田先生だが、以前は飼い主に与える印象を気にして笑顔で話をしていたこともあるという。

しかし、その場で本当に大事なことは何かを考えたあげく、現在は動物たちを救うことを最優先し、治療の際には笑顔を作らないようにしているのだ。


「犬や猫はうちの家族だから」って考えている人はたくさんいるんですが、いざその子たちが病気になると「犬だから仕方がない」、「猫だから仕方がない」って言う人がとても多いと感じています。

もし、病気になっている犬や猫が自分の家族だったら。

子どもだったら。

友達や大切な人、恋人や両親だったら。


ニコニコとお医者さんと喋っている間にその人たちが死んでしまうくらいであれば、あまり愛想の良さなどは気にかけず、まずは全力を「救う」ことに傾けてほしいと思うのではないだろうか。


だから、僕はまず助けます。どうにかして、この子を死なせない。そのことを最優先にしています。

普段は快活に振る舞う森田先生。

しかし、臨床現場ではその顔は一変し、「命を救う」という目的一つで冷然と作業に取り組む救急医へと変貌する。

愛想をふりまくのではなく、何よりも動物の命を救うことを最優先にすることが、森田先生の矜持だ。


「夜間診療」と「夜間救急」は違うんです。「夜間診療」は、夜に診察することを指します。だから、普段どおりニコニコしていてもいい。ですが、「救急」の場合は飼い主さんと話をしている最中にも動物の状態が刻一刻と悪くなることも多いです。シビアな処置や動物を傷つけるようなリスクの大きな処置をしないといけないこともあります。そういうときにニコニコと笑顔でいることに、僕は「どうなんだろう」と思ってしまうんです。

重大なリスクを孕んだ場面で笑顔を浮かべることに、違和感を覚えるようになった。

この違和感が、彼にある気づきをもたらした。


「ああ、僕がやりたいのは夜間診療ではなく夜間救急なんだから、救急のための対応をしっかりしていこう」と、自分の中で変えていったんです。

この気づきが「命を救うことを何よりも優先する」というポリシーにつながる。


救急に来るということは、それだけの理由があるということです。飼い主の方は心配だから来るんだろうし、お金も安くはない。その中で僕が提供するべきなのは、笑顔ではないと思うようになりました。

森田先生が飼い主に提供するのはただ一つ、「ペットの命を救うこと」だ。動物の命を救うという矜りが森田先生の顔から笑顔を消し、「救急獣医師の顔」を描き出している。


本当は笑顔で話したいし、心はあったかいんですよ。伝わっていればいいんですけど(笑)

そのように語る笑顔の上には「一つでも多くの命を救いたい」と願う温かい想いが浮かんでいた。

 

もっと知りたい! 森田先生ってどんな人?


Q:今後の目標をお聞かせください。今でも開業は視野に入れているのでしょうか?

今の目標は、日中の動物救急を確立していくことです。 動物の救急は夜間中心が現状ですが、人間の救急はそうではなく、日中も救急車が走っていますよね。そこに大きな差があるんです。 何故動物病院に日中の救急がないかというと、そもそも(救急自体が)認知されておらず、そのための施設もないからです。 それに、夜という時間の特殊性が原因で、「救急をやりたいけどできない」という獣医さんもいるんですよね。特に家庭を持っていると夜は働きにくいですから。それで救急を諦めてしまうのはすごくもったいないと思うので、働きやすい環境を作るために日中でも救急対応可能な動物病院を立ち上げたいです。一般の動物病院では対応しきれない患者さんたちにとって頼れる存在になりたいと思っています。

Q:飼い主の方へのメッセージをお願いします。

厳しいことを言うようですが……飼い主さんにも自分が飼っている子のことを知ってほしいんですよ。普段から動物病院に行っていて薬をもらっている方に「何の薬を飲んでいますか?」と聞くと、「わかりません」と答える方が半分くらいいます。答えたとしても「んーと、粉薬とか?」と、曖昧な方もいます。 こんなことは人間だとあり得ないはずです。 動物病院側の説明にも足りない部分があるかもしれませんが、自分の子のためにお金を払って治療を受けているんだったら、そこは把握してほしいです。 当然、わからないことやできないことはありますよね。特に夜の時間帯は、一般の動物病院の窓口も空いておらず、何かあったときに余計に不安になってしまうこともあると思います。そのときは遠慮なく救急病院を頼ってもらいたいです。

Q:獣医師を目指す学生や救急を志す獣医師に向けてメッセージをお願いします。

救急には辛いことがたくさんあります。命が失われる現場だし、その都度飼い主さんたちに謝らないといけません。多分、一般診療よりも死の現場に直面することが多いと思います。 しかし、死の現場に直面するということは、動物の命の瀬戸際にいられるということです。自分の力が伸びれば伸びるほど、知識があればあるほど、救える命が確実に増えていきます。僕らのような命を扱う職業で、自分の成長と救える命の数が比例するということほど、勉強をする理由になることはないと思うんですよね。だから、(臨床獣医師として)一番成長できるのは救急の現場だと思っています。 救急にちょっとでも興味を持っている方がいたら、是非一緒に働いてみたいです。
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