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  • 山口祥兵

ひとりの往診獣医師が見据える「安楽死のない未来」(往診専門御影ペットクリニック 往診獣医師 松嶋周一先生)

「まさに『人』ですわ」。往診獣医師の仕事をそう表現したのは、松嶋周一(まつしましゅういち)先生だ。青年海外協力隊や米穀店、製薬会社、さらには動物園獣医師など数多の経験をしてきた彼が、最終的に辿り着いたのはなんと往診獣医師だった。そんな彼の信念は、「安楽死をしない」こと。その信念の先にあるささやかな構想とは――。(2020年11月20日取材)


米屋の息子が獣医師へ


松嶋先生がもつ異色の経歴。

その一歩目は、近畿大学の水産学科から始まる。


釣りが好きだったので入学しました。釣り部に入って遊んでばかりでしたけどね(笑)


学生時代の松嶋先生は好きな魚を追い求めてひたすら釣りに打ち込む青年だった。当時は獣医師になることなど全く考えていないどころか、頭の中は動物ではなく魚一色だったのだ。


大学を卒業した後に青年海外協力隊に参加したのも魚好きが高じてのことだ。

今から四十年以上前の1980年、ケニアに渡航した彼に課せられた任務は鯉やティラピアなどの淡水魚養殖だった。

異国の人々に触れながら魚に没頭できる――この日々は松嶋先生にとって、えも言われぬほどに充実したものだっただろう。


ケニア養殖場のメンバーと
ケニア養殖場のメンバーと(前列左から二人目)
ケニア赤道にて
ケニア赤道にて

予定では彼に与えられた期間は二年だった。

当地の生活を味わい尽くすには少々物足りないであろう「二年」という時間。

これが、ある出来事により短縮を余儀なくされるとは誰しも予想すらし得なかった。

僕がケニアに行っている間に父親が肝臓がんを患ったんです。なので、一年ほどで帰国することになりました。

松嶋先生が肝臓がんになった父親に代わって家業である米穀店を継ぐこととなったのはこの時、彼が二十五歳の頃のことだ。そこから十年もの間、米穀店を切り盛りしていったのである。

でも、米屋っていうのが性に合わなかったんですよ。ですから、米屋をやりつつも色々考えて悶々とする日々を送っていました。

家業を守らなければならないという思いと、自分に合わない仕事を続けていくことに対する葛藤が相克した。

こうして様々に思考を巡らせて悩み抜いた松嶋先生は、ある日ふと獣医師免許の取得を決意する。

米穀店主から獣医師へ。

これはまた思い切った転換だ。

獣医学部への入学も獣医師免許の取得も容易なことではない。ましてや動物関連の背景を持っているわけでもない彼にとってはその道は苦難に満ちたものであろう。

それでは一体なぜ彼は獣医師になることを目指し始めたのだろうか。

「魚の病気」というものをケニアで色々と体験したのがきっかけです。帰国したら大学院で魚病を研究したいとぼんやり考えていたんですよ。

しかし、父親の肝臓がん発覚を契機に米穀店を継ぐこととなったため、その夢はあえなく頓挫してしまっていた。

そんな松嶋先生が今一度人生を見つめ直す中で見出した希望は、まさに獣医学の中にあったのだ。

獣医学でも、魚病について学べる――。

抑圧された日々の中でも魚病への興味の灯は消えなかった。

こうして、魚病を扱うことができる獣医師を志すようになったのである。

松嶋先生は大学に入るために、日中は米穀店で働き、夜は予備校で勉学に励んだ。

ハードな日々を送っていたことが容易に想像できるが、そうした努力はやがて報われ、大阪府立大学の獣医学科に入学することができた。

大学では専門的に学ぶ中で志向が変わり、病理学を専攻することになったという。

卒後はそのまま博士課程に進学し、さらに学びを深化させていった。

研鑽の期間が終わった頃には、時代は90年代に突入していた。


第二、第三の人生


さあ、ようやく獣医師としての人生の始まりだ。

ここで改めて松嶋先生の多彩な経験を追っていきたい。

卒後は病理学を修めた経験を持ち味に製薬会社に就職し、そこで二十五年間勤め上げた。

製薬会社では、動物の解剖をして標本を作り、検査するという、基礎的な仕事をしていました。
製薬会社の解剖室にて
製薬会社の解剖室にて

定年を迎えてもなお、松嶋先生は止まるところを知らなかった。獣医師免許を活かすために次に向かった先は、臨床の道だった。


最初に勤務したのは皮膚病を専門に扱う動物病院だ。しかし、全くと言ってよいほどに臨床を経験したことのなかった松嶋先生を待ち構えていたのは、想像以上の激務だった。

それに何とか耐えながら彼は、大阪府内の動物病院へと活躍の場を移しながら、実務を通じて必要な手技を次々と学んでいった。

彼が次に選んだ職場は天王寺動物園(大阪市)だった。

動物園獣医師には馴染みのない方がほとんどだろう。その職務とは一体どのようなものだろうか。

動物園には年老いた動物も多く、亡くなってしまう動物たちも多いんです。その死因を究明することは必須でした。死因が何かの感染症なら、他の動物にも感染してしまうことがあるからです。

臨床家としてだけではない。長く培ってきた病理の知識や解剖スキルを駆使しつつ、死因究明や感染制御に取り組んでいたのである。

動物園の検査室にて
動物園の検査室にて

こうして動物園獣医師としての職を全うする中でも多くの経験を積んだ松嶋先生が辿り着いたのが、往診専門の動物病院だった。

開業のきっかけには、ずっと一緒だったヨークシャー・テリアの存在があったのだという。

(飼っていたヨークシャー・テリアが)老化してきたので、獣医師として看取りたいと思ったんです。看取りのためには薬が必要なので、薬の入手のためもあって開業しました。

往診という形態であればこの身一つで事足りると考え、一念発起、開業に至った。

きっかけは自分のペットを看取るためではあったものの、知り合いのペットのターミナルケアなどを通じ、往診の需要を感じていったという。

一人の釣り好き学生が、およそ世間の人々が歩むことのないユニークな道を進み、往診専門獣医師へと辿り着いた。

往診獣医師となった彼は今、何を思い、何を目指しているのだろうか。

松嶋周一先生と愛犬ラッキー
愛犬ラッキーと

「まさに『人』ですわ」


開業に当たって大掛かりな施設を必要としない往診は、一見、誰でも簡単に始められて苦労の少ないものに思えるかもしれない。しかし実際には外側からは見えない様々な困難が付きまとうものだ。

まず往診では、使用できる設備が限られている。そのため、治療ができる範囲にも限界がある。このことについて、松嶋先生は自身のある苦い経験を語ってくれた。

脱毛している猫ちゃんがいたんです。内分泌疾患だと思いましたが検査機器がなかったため、原因までは特定できませんでした。皮膚科で学んだ知識も役に立たず……。こういったケースでは、精密検査などを行いたいのですが、それもできないので限界を感じています。

元々は綺麗な毛並みを持ったペルシャ猫だったが、すっかり毛が抜けてしまっていたという。往診で対処ができなければ、一般の動物病院で治療するしかない。

僕を頼ってくださっているのに、答えを出せないというのが切ないですね。自分で治せるなら、何とか治してあげたいと思いますが……。僕が中継役でしかないのがもどかしいです。

そうした困難は治療に限った話ではない。集客にも苦難が伴う。懇意にしている飼い主がいなければ、その足で新しい客を集めるしかない。

とにかく、近所でポスターを配るところから始めましたね。だいぶ歩き回りました(笑)

また、往診では移動にかかる時間も加味すると一件当たりの対応時間が長くなることが多い。そのため松嶋先生の場合は一日五件が限度だという。収益の確保は簡単ではない。

このように、往診には様々な困難がある。

しかし、往診だからできることもある。

それは、飼い主と深く関わることだ。往診では、通常の治療を行う傍ら、飼い主からの様々な相談に時間を割くことも多い。

大事にしていることは、話を聞くということですね。動物が好きでこの獣医療業界に入ったんですけど、結局は人ですね。

飼い主の話を聞くことには、どのような意義があるのだろうか。

飼い方を教えてほしいと言われたり、セカンドオピニオンのようなことをお願いされたりするんです。話をすることによって、飼い主さんの心が穏やかになります。悩んでいたことが、僕と話すことによって解消されたりするんです。

飼い主の心を解きほぐすこと。

ひいては、飼い主のケアに役立てること。

松嶋先生が念頭に置いているのはいつだってそのような意識だ。


飼い主との深い関わりは、伴侶動物が亡くなった後も続くという。動物が「骨になるまで」飼い主に関わり続けるのだ。

最期まで看取って、火葬場も紹介したりもします。飼い主さんは「何もわからない」とパニックになっていることもありますからね。動物が骨になって帰ってくるまで、飼い主のお相手をさせていただいています。

往診の真価は飼い主との深い関係にこそある。

松嶋先生は、往診を「まさに『人』ですわ」と説明する。

往診の業務の中で治療が占める割合は四割くらいだと思います。そんなに画期的なことはできないですからね。今ある薬をどう使うかという話なんです。 後は、痛み止めと酸素吸入などで対応しているのが現実ですね。残りの六割はおしゃべりですよ(笑)

この「おしゃべり」で、心穏やかに、愛するペットの末期を迎えることができた飼い主は多くいるだろう。

様々な辛苦を味わいながらも、飼い主のことを考えて往診を続けてきた松嶋先生。もちろん、彼が寄り添う相手は人だけではない。獣医師として、もちろん動物に寄り添うことも大切にしている。


「安楽死をしない」という信念、その未来


今後の目標として考えているのは、動物のホスピスですかね。末期に痛みで苦しんでいる子が結構いますよね。その子たちが痛みなく終わりを迎えられるようにしたいんです。

苦痛に喘ぎながら最期を迎える動物たちを見てきた松嶋先生。人であれ、動物であれ、苦しんでいる者の傍で手助けをしたくなるのが、彼という人間なのだろう。

わんちゃんや猫ちゃんは鳴きますよね。マンションで飼われている方も多く、「(周りに)迷惑がかかるから、安楽死させてくれ」と言われることもあります。 僕は安楽死を絶対に受け入れないので、ちょっと鳴かれたくらいでは迷惑にならないような広いところで、動物を飼育出来たらと思っています。

安楽死をさせることなく、痛みのない最期を迎えられる場を設けることが、松嶋先生の目標だ。

往診で動物の看取りを経験するまでは、考えもしなかった望みだった。

往診が、彼に新たな変化をもたらしたのだ。

最初は魚が好きだったので、さかなクンみたいになりたかったんですよ。それが流転してしまって、今の状態に辿り着いたということなんです。

誰かに寄り添い続けようとするその姿勢の先に、人と動物の区別はない。

苦しんでいる存在がそこにいるのなら、彼は親身に掛け合って手を尽くすことを決して諦めはしない。

その視線の先には、彼の信念とも呼応する「安楽死をせずとも済む未来」がある。

話に上がったホスピスはその遠大な目標に向けての第一歩だ。それは小さな一歩なのかもしれない。だが、これまでの経歴を見てもわかるとおり、一歩一歩を着実に積み重ねてきた松嶋先生のことだ。一つ終わればその次へと邁進していくことだろう。

その意気盛んな足音が、鳴り止むことはない。


もっと知りたい! 松嶋先生ってどんな人?


Q. 往診以外に取り組んでいることはありますか?

看護師などを養成する専門学校で非常勤の講師をしています。そこで教えているのは、解剖生理学、栄養学、公衆衛生学などです。 一コマ五十分ではありますが、授業資料を作るのは大変ですね(笑)

Q. 先ほど釣りが好きだと仰っていましたが、他にはどのようなことを楽しんでおられるのでしょうか。

キャンプやお寺巡りですね。最近は行かないですけど、以前は毎週行っていましたね。 神戸はすぐそばが海だから、近場で釣りをしていました。遠方だと淡路島に行って、釣りのためにソロキャンプまでしたり。 お寺巡りでは、四国八十八箇所や西国三十三所、新西国三十三箇所などを巡っていました。十一年前くらいから回り始めたのですが、今はもう全部コンプリートしてしまいました。

Q. 「安楽死はしない」というお話がありましたが、安楽死のご相談を実際に受けたときにはどのように対応されるのでしょうか?

メラノーマが口腔にできた子がいて、その飼い主の方に「安楽死を考えてるんです」と言われたことがあります。 私は安楽死を断固としてやりません。それがモットーです。安楽死希望だったら他を紹介しています。 そういう断固とした姿勢でいたためか、飼い主の方も痛みのケアをする方向に考えがシフトしていきました。

Q. 飼い主の方々にメッセージをお願いします。

往診に伺った際には僕に対して心を開いてくれれば十分です。 そうすれば、道は開けると思います。

Q. 獣医師になりたい学生の方々へメッセージをお願いします。


最初は動物が好きでこの世界に入ってくると思いますが、結局は「人」です。 だから国語力をつけるとか、哲学書を読むとか、そういう「お話をするための引き出し」を持つことが必要かな。

動物病院紹介


名称:往診専門 御影ペットクリニック

獣医師:松嶋周一

往診エリア:神戸市、芦屋市、西宮市(一部地域を除く)

HP:https://select-type.com/s/oshinmikage-pet

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