- 山口祥兵
目指すのは「動物の気持ちの代弁者」! とある往診獣医師が人と動物の架け橋になった日(往診専門ルル動物病院 往診獣医師 齋藤亨先生)
更新日:2022年1月26日
公務員獣医師を辞した後、臨床の道へ進んだ齋藤亨(さいとうとおる)獣医師。二年ほど前から往診にも果敢に挑戦しており、「動物の意見を代弁してあげるような治療を心がけている」と語ってくれた。本稿では、そんな齋藤先生が胸に秘める思いを詳らかにしていきたい。(2020年11月30日取材)
「命を繋げる」ということ
獣医師を志したきっかけとしては、元から動物が好きだったっていうのが一番大きいですね。動物がただただ好きで、動物に関わる仕事をしようと思っていました。
動物が好き。
緊張もあってか強ばっていた口元も、その一言を発するときにはつい綻んでしまう。
大多数の「動物好き」と同じように彼もまた、子どもの頃からたくさんの犬や猫に囲まれた生活を送ってきた――
――わけではなかった。
逆かもしれないですね。僕の場合は小児喘息――幼い頃に喘息持ちだったので、むしろあまり動物に触れない環境にありました。動物に触れると喘息が出てしまう状況だったので、憧れみたいなものもあったのだと思います。
動物に触りたいのに、触れない。そのジレンマが、動物に対する憧れを強くした。
欲しいものに手が届かないとき、人はたまらなく渇望する。
当時の齋藤先生もその例に漏れず、動物たちへの「慕情」を募らせていったのだった。
実物とたわむれるのは諦めて動物図鑑を熱心に眺める日々が続いた。
本当に求めているものが目の前にあるのに足踏みを強いられる――そうした苦悩が病による痛苦に折り重なって、よりいっそう齋藤先生を蝕んだことは想像に難くない。
だが、彼にとって幸いだったのは、この苦しみが長くは続かなかったことだ。
年を経るにつれて喘息の症状は治まっていったのだった。
朗報はそれだけではない。
病状が和らいでいくごとに、憧れは単なる憧れではなくなっていく――そう、動物と気兼ねなく触れ合える時間がようやく現実のものとなっていったのだ。
(獣医を目指せるようになったのは)小児喘息から解放されたということも大きいですね。
ついに寛解の日を迎えたその先には、病から脱却して動物と触れ合う自由を手にした現在の自分と、獣医師として手腕を振るう未来の自分がいたのだった。

足枷がなくなってからは、中学生、高校生と一途に獣医師を目指して勉強に励み、晴れて北海道の帯広畜産大学に入学した。
当時は夕方まで授業を受けて、部活に顔を出してからコンビニの深夜バイトに行くという学生生活を送っていました。
このような日常の中で、獣医師というハードな職業に耐えうるだけのバイタリティが育まれたのかもしれない。
大学卒業後は大方の予想と反して、兵庫県で公務員獣医師として活躍することとなった。
公務員になったのは卒業論文で人獣共通感染症を扱ったことがきっかけです。
人獣共通感染症とは、ヒトと動物の両方に感染する病気のことであり、公衆衛生上重要な課題として位置付けられている。
日常的に使用される言葉ではないかもしれないが、今そこにある危機であることに変わりはない。記憶に新しいところでは、数年前に国内で大規模感染が確認されたデング熱も人獣共通感染症の一種である。
感染症と向き合いながら「人と動物の関わり」という点で何かできることはないかと興味が出始めたんです。
入庁後は食肉衛生検査所に配属された。基本業務である「と畜検査」に勤しむ傍ら、小学生や社会人を対象に食育講習を行ったり保健所と協同して動物の適正飼養啓発に取り組んだりと、「命の大切さ」を伝える機会にも恵まれたのだという。
と畜検査員として日々現場に立っていると「命をいただく」ことが日常風景になって、「命の大切さ」を感じにくくなってしまうことがありました。そういう時に、小学生や社会人の方々にお話をしていく中で、「命の大切さ」や「動物との関わり」を再認識することができたんです。
つい先ほどまで生きて動いていた動物が腑分けされてベルトコンベアに流れてくる――その安全性を粛々と検査するのが、と畜検査員を命じられた者に課せられる責務だ。
流れゆく日常の最中で、ふと気を緩めると意識から遠のいてしまいがちな「命の大切さ」――それを折に触れて思い出させてくれる講習活動にはとりわけやりがいを感じることができたのだと、齋藤先生は静かに語った。
しかし、そんな充実した公務員生活にも別れを告げなければならない時がやって来る。
それは社会人三年目。異動を控え、検査所の業務も一区切りした冬のこと。
ある一つの決断が彼の人生を大きく動かすことになった。
最初は臨床を志していたので……やっぱり、もとの希望に行きたいな、と。
いざ、臨床の道へ――。
思えばそれは、彼にとって「あるべきとおりの場所」であり、獣医になろうと思い立った当初から抱いていた希望でもあった。
公務員時代の経験は他では得がたい貴重なものだった。かけがえなくやりがいもあった。
それゆえに自ら離れて行くことに後ろ髪を引かれることもあった。
だが、そうした悩ましい葛藤を乗り越えられたのも、仕事をこなしながら芽生えていったある思いのおかげだった。
「命の大切さ」を実感したことで、より直接的に「命を繋げる」仕事をしたいと思うようになったんです。
こうして久方ぶりに臨床の世界に戻ってきた齋藤先生は、いくつかの動物病院を経験した後に千葉県のとある動物病院に辿り着いた。
現在に至るまで五年間に渡って勤務医として在籍している動物病院だ。
この動物病院を選んだ理由は、大学の先生をお迎えしての診察や勉強会に力を入れているからです。もちろん普段の診察自体も勉強続きですけど、それ以外にも病院に勤めながら知識を手に入れるチャンスや交流の機会に恵まれているのはとても魅力的でした。
新天地でも初心を忘れることなく、知らないことはどんどん吸収していこうと大いに励んでいる齋藤先生。

ここからは臨床獣医師に転身した彼の軌跡とそこに潜む思いを追っていきたい。
最期を、心穏やかに
齋藤先生にまたもや転機が訪れたのは、動物病院で働き始めて次第に手技も板につき始めた頃のことだった。
動物病院で治療をしていると、入院して治療しても改善する病気ではない、状態維持すら難しい子たちにたまに会うんです。お家に帰せる状態であれば、できるだけおうちでゆっくり残りの時間を過ごしてもらうというご相談もできます。ですが、どうしてもおうちに帰してあげることが難しいという状況も出てきます。
彼が突き当たったのはまさしく看取り問題だった。
家族に囲まれた中で最期を迎えさせてあげたいと望む飼い主は多い。しかし、諸般の事情で病院から帰すことができず、そのまま院内で亡くなってしまうケースも少なからずある。
齋藤先生が往診を意識するようになったのも、このようなケースに出くわした経験からだった。
治療のレベルはある程度下がってしまうとは思うのですが、往診であれば入院時とできるだけ近い環境を整えて、お家の中で診療してあげられるのではないかと考えました。最期はできるだけ辛くないように、心穏やかになれる環境で、ゆっくりとした時間を過ごしてもらえたら、と――。
家族に看取られることなく旅立っていく姿を現実に目撃してきた――もうこれ以上同じ目に遭う子たちを増やすわけにはいかない。
齋藤先生が一般動物病院で勤務しながら往診を行っている裏にはそのような思いが秘められているのだ。
もちろん、往診を始めたからこそわかる苦難もないわけではない。
一般の動物病院だと、診療のある程度までをその場で完了させることができます。けれども往診の場合だと、その場で全ての検査や治療を行えるわけではないので、他の病院への引き継ぎをどのタイミングでするのか考えておかなければいけません。
家で可能な範囲の治療を受けさせたい。そのような期待を胸に往診を依頼する飼い主の中には、必要があれば他の病院に連れて行くことを厭わない人もいれば、他の病院には行かせたくないという人もいる。
一つ一つ飼い主の要望を聞き取って相談した上で、一般動物病院に引き継ぐかどうか、引き継ぐのであればそのタイミングを見極め、決断しなければならない。往診単体では治療を完結できない可能性があるからこそ、こういった細かい調整にはいっそう気を配る必要が生まれているのである。
そのような苦労がある一方で、メリットも多々あるのが往診だ。
往診ではご自宅に伺うことになるので、目の前の患者さんだけに時間を割くことができます。それが一番大きな強みですね。その子に集中することができて、他に気をとられることがありませんし、飼い主さんも待っている他の飼い主さんの目を気にする必要がありません。本当に時間をかけてお話を聞き、説明をさせてもらえるので、その点は良いところだと思います。
時間をじっくりかけて会話をすることで、動物の容態や置かれた環境を詳細に聴取できるだけでなく、自宅に迎え入れる飼い主の安心感にも繋がるのだと齋藤先生は言う。
自宅に他人を迎え入れるのは、かなりハードルが高いと思っています。そのための準備も必要だし、精神的な壁もありますから。そういった意味での不安をなくすためにも、会話は重要だと思っています。

実際に二時間くらいお話しすることもあるとのことであり、対話を重視しているという言葉に違うところはなかった。継続的な診療が必要になるターミナルケアでは飼い主との関係性も診療に影響を与え得る。そのため、会話には特別時間を割くことになるのであろう。
会話の中で飼い主への指導を行うこともあるという。
一番の医者は飼い主さん自身です。入院での治療であれば獣医師が動物を診ることになりますが、在宅での治療では基本的に飼い主さんが主治医として、日々の観察だけでなく時には治療も行わないといけません。そういった意味で、飼い主さんに対する指導にも時間をかけています。
往診では比較的フットワーク軽く動けるとは言え、何かあったときにいつでも即座に駆けつけられるとは限らない。飼い主さんが一時的に対応に当たる場合を強く意識して、具体的な処置や行動も含めて伝えておくようにしているという。
「このような場合にはすぐに病院に連れて行ってください」とか「この薬をあげてください」とか。場合によっては「最期が近いので見守ってあげてください」とか……。苦しいかもしれないんですけど、「酸素室から出して、最期に抱っこしてあげて」とお話しすることもあります。
ここに、齋藤先生の臨床に懸ける思いを見て取ることもできるだろう。
というのも、臨床に携わる上で大事にしていることを尋ねた際、彼はこのように答えていたのだ――。
その状態が「動物自身にとってどうであるのか」ということと、「飼い主さんにとってどうであるのか」ということを常に意識するようにしています。それが治療対象になるかどうかの判断に関わってくるからです。
「動物自身にとってどうであるのか」は至極わかりやすい。
苦痛に悶えているのであれば治療を施す、それは感覚的にも理解しやすい話ではなかろうか。
一方の「飼い主さんにとってどうであるのか」は、果たしてどのように関連するのだろうか。
たとえば動物に痒がる様子があるとします。動物自身が痒がっていて、皮膚が病的な場合はもちろん治療対象となります。しかし、皮膚の状態はそこまで悪くなく病的な状態ではない、ですが痒がる様子がある場合があります。その時、飼い主さんがその見た目や仕草を不快に感じている場合も治療対象になるんです。
苦しんでいるのがかわいそう――。
そのように感じる飼い主の自然な心が、獣医師を治療へと向かわせることもある。
正直なところ、動物が実際に痛みや不快感に悩まされているのかどうかはわかりにくいことも多いんです。ですから、その状態を動物と飼い主さんそれぞれの立場で評価して、どちらに寄せて診療していくのかを飼い主の方と相談しながら進めていきます。結局、対話できるのは飼い主さんだけなので、動物側の意見を代弁してあげる……そのような治療を心がけています。
――酸素室で孤立した死を迎えさせるのではなく、慣れ親しんだ飼い主の腕の中で、大好きな人たちに見送られながら彼の地へ旅立っていけたなら。
それは時として肉体的な苦しみを伴うかもしれず、安楽からは遠ざかってしまうという見方もできなくはないかもしれない。
それでも、生命の終わりのかけがえない一瞬を共に過ごすことができる喜びは、苦しみを補ってなお余りあるのではなかろうか――。
これもまた、「動物の代弁者」として人と動物の架け橋になろうとした齋藤先生なりの一つの結論なのであろう。
動物と飼い主、どちらか一方を尊重するのではない。どちらの立場も慮った上で適切な判断を下さなければならない。言うは簡単だが、実行に移すには経験に裏打ちされた優れたバランス感覚が不可欠だ。
臨床から離れて公務員生活を経たことにより「命の大切さ」を強く自覚し、「人と動物の関わり」を旗印にここまでやって来た彼だからこそ、できることがある。
これからもその役割を果たしつつ、一つ、また一つと、着実に歩みを進めていくことだろう。

もっと知りたい! 齋藤先生ってどんな人?
Q. 往診の良さについてもっと教えていただけますか?
僕自身、子どもが二人いるんですけど、往診を始めた時点では二人とも幼稚園児だったんです。その当時は割と夜遅くまで働いていましたし、休みも土日で決まっているわけではなく平日休みだったりするので、子どもと一緒に過ごす時間も少なかった。 実際に往診を始めた理由の一つがそれなんです。 家族との時間を確保したいとか、他に時間をしっかり作りたいという方には向いていると思います。 ……それと同時に、向いていないかなと思うこともあります。 往診では飼い主さんと特殊な信頼関係ができると思うんですね。それは一般動物病院に行って診てもらうのとはまたちょっと違った関係性です。獣医師がご自宅に伺って迎え入れてもらうので、ある意味では動物を見守る家族の一員ぐらいの立ち位置になることがあるんです。 うちの場合だと夜間診療も受け付けていますから、夜間に電話があって駆けつけることもあり……寄り添うからこそ引きずられてしまう部分はありますね。 その他にも、往診だと「病院」という形を持たない分、一般的じゃない場所でも治療行為ができますね。夕方の暗くなってきた時間帯に外でライトを当てながら採血して血液検査をしたこともありますし、ある意味フットワークは軽いというか……できる範囲ではありますが、望む場所で治療をすることができるというのは良い点かなと思います。
Q. 往診中の印象的なエピソードがあれば教えてください。
往診をやっていると野良猫を診ることもあるんですよ。本当に稀なことですが。 ある公園で怪我をしている猫がいて、その近所に住む方から「飼うつもりはないんだけど、かわいそうだから何かできることはないか?」と連絡が来たことがあります。 その子は治療してみたら実は意外に人懐っこくて、最終的に連絡をくれた方のお家に迎え入れてもらえたんです。今でもちょっと外に出たがることもあるみたいなんですけど(笑)
Q. 往診で飼い主の方とコミュニケーションをとる際に、何か意識していることはありますか?
まずは動物を大事にすることですね。 往診を依頼される方は動物の通院ストレスを気にしていらっしゃる方が多いので、急に来た獣医が乱暴に自分の子を扱ったら、「この人には見せられない」と余計に警戒してしまいます。 なので、最初は動物とコミュニケーションを取ったり、おやつをあげたりします。状態にもよりますが、いきなり診察を始めるのではなく、飼い主さんと少し会話をしながら動物との距離を縮めてから診察をします。
Q. 今後の目標はありますか?
目標はやっぱり、飼い主さんのお家で入院環境を整えることです。「病院をそのままお家に持ち込む」というのが一番の目標で、正直難しいとは思っていますが、お家で病院と同じ環境をできる限り作ってあげる。それだけ安心できる環境を作ってあげたいです。
Q. 飼い主の方に対するメッセージをお願いします。
お願いしたいのは、定期的に体重計に一緒に乗ってくださいということですね。 往診の際にも体重を量って経過を見させていただくことはあるのですが、元気、食欲に加えて体重は目に見えやすい体調管理のバロメータですので、定期的に体重計に乗る機会を作っていただくと、数値的に体調を管理できると思います。
Q. これから獣医師を目指す方に対するメッセージはございますか?
小動物臨床を目指している方はやっぱり動物好きな方が多いと思うんですけど……僕の考えとしては、動物が辛い状態から元気になるためのサポートをするのが獣医師です。獣医師ではなく、動物自身、もしくはご家族の力が主体だと思います。それをサポートできることは幸せなことだと思います。 しかし、生き物なので亡くなることもありますね。特に、僕がやっている往診という形式だと、亡くなる子に出会うケースの方が正直多いかなと思います。子犬や子猫に会うよりも、お家で最期をゆっくり過ごそうとしている老犬や老猫に会う、もしくは看取ることが多いので、辛い部分も多いのです。 それでも、安らかに亡くなった、眠るように亡くなったと、飼い主さんに満足していただけることがあります。場合によっては本当に壮絶な亡くなり方をする子たちもいるので、辛い思いをせず亡くなることができて、かつ、飼い主さんが動物の苦しんでいる状況を目にすることなく過ごせるようなサポートができるということは、辛いながらも大切なことだと思います。 中々それを耐えるのは難しくもありますが、一番つらいときに頼っていただき、寄り添う、それが自分にとってはやりがいでもあると思っています。
動物病院紹介
名称:往診専門 ルル動物病院
獣医師:齋藤亨
往診エリア:千葉県八千代市、四街道市、印西市、白井市、佐倉市ほか
HP: https://lulu-animal-hospital.com/
