• 山口祥兵

往診獣医療の普及に向けて……飼い主を支え続ける往診獣医師の実情

東京で「はる動物診療所」を開業している櫻井崇史(さくらいたかし)先生。「人とゆっくり話すのが好き」と語る彼にとって、往診はまさに天職とも言うべきものであった。今回はそんな櫻井先生の人柄や往診に懸ける想い、そして往診獣医療の行く末についても話を聞くことができた。(2021年3月2日取材)


学生時代から決めていた独立への道


元々は保育士になりたかったんですよ。

獣医師になったきっかけを聞いた時、あまりにも意外な答えが返ってきた。

子供や動物をみるのが好きだったので、保育士と獣医師どっちがいいかなーって考えていました。
櫻井崇史先生

櫻井先生が高校生の頃に思い描いていたもうひとつの職業は、獣医師とは関係のない保育士というものだった。


高校が進学校だったので獣医師や薬剤師になる友人が多かったんです。親からのゴーサインも出なくて、そんな中で「保育士になりたい」とは言い出せなかった。

保育士を選ぶと年収面での不安が残る。将来的に家族を養っていこうと考えたとき、学生時代の櫻井先生には親を説得できるだけの材料を用意することができなかったという。

もちろん獣医師にも憧れていました。昔から動物図鑑を好んで読んでいて、近くの動物園にも頻繁に通うくらい動物が好きだったので。

高校卒業後は麻布大学の獣医学部へと進学し、獣医師としての人生が幕を開けた。


大学生の頃から30歳を過ぎたら一人でやるっていうのは決めていました。一通りのことを経験して、5年経ったら何らかの形で独立しよう、と。

学生時代から独立を目標に掲げていた櫻井先生は、一般動物病院で4年間、夜間救急で半年間、開業に向けて経験を積んでいった。

最初に勤めたのは浦和美園(埼玉県)の動物病院でした。去勢・避妊を日に2頭、夜にオペ(手術)もあって結構忙しかったです。 一次診療を件数多くしている動物病院だったので、一通りのことは経験できましたね。

働く上では仕事内容以上に「誰と働くか」という人間関係が重要になることもあるが、櫻井先生はそこで「師匠」と呼べる人物と巡り会ったという。

その時の僕の師匠が神様みたいな人だったんですよ。挑戦する環境をしっかり作ってくれました。好きにやらせてくれて、(失敗した時には)ちゃんと尻拭いをしてくれる。もちろんダメな時にはしっかり怒ってくれる。今でも毎年お歳暮送らないと、って感じです(笑)

その後は夜間救急でも多くの症例を経験することができ、ようやく開業を考える時期が訪れた。


開業を控えた櫻井先生に与えられたのは三つの選択肢だった。

普通に動物病院を開業するか、往診専門にするか、爬虫類を専門で勉強しなおすかで迷いました。

爬虫類は、昔から飼育していたことと専門医の少なさから、需要は非常に高いと考えていたそうだ。


櫻井先生は、まず真っ先に爬虫類界隈で有名な動物病院に弟子入り志願に行った。

ところが、タイミングに恵まれず爬虫類専門獣医師の道は閉ざされることとなる。


残された選択肢は二つ。動物病院の店舗開業か往診専門か。

だが、そこに悩む余地はほとんどなかった。

東京で新しく一つ動物病院を開業しても、飼い主さんからしたら大きな変化はないと思うんです。これから更に必要になるのは、やっぱり往診、在宅医療じゃないかなと思ったんです。

需要が今後も伸びていくと感じて往診専門動物病院を開業した櫻井先生だが、なぜそのように考えたのだろうか?開業のきっかけにもなったその理由についても語ってくれた。



勤務医時代に実感した往診の必要性

病に冒されている時は動くことすら苦痛を伴う。それは人も動物も同じだ。

重病の動物にとっては動物病院への通院すら大きな負担となってしまう。

そのような負荷に耐えながらも治療を求めてくる姿を、櫻井先生はたびたび目にしていたという。


勤務医時代に悪性腫瘍の大型犬を診ていたんです。病院から5~600mほどの所に住んでいたラブラドール・レトリーバーの子だったんですけど、通院のために片道1時間くらいかかっていました。ゆったり歩いて、途中で疲れてしゃがんで……という感じで、通院してもらうのが、非常に心苦しかったんです。

そして、病院へ到着してからも診察まで長時間待つということは決して珍しくはない。

途中からは僕が診察後にご自宅に寄ってたんですよ。これは同じ思いをしている人がいっぱいいるな、と思うようになりました。

比較的小型な動物であれば、寝たきりになったとしても抱きかかえて動物病院に連れて行くこともできなくはない。しかし、レトリーバーやセント・バーナードといった大型犬になってくると、途端に話が変わってくる。勤務医時代に体験したこの出来事が、櫻井先生に往診の必要性を気づかせた。


こうして大型犬周りで潜在的に大きな需要が見込めると考えた櫻井先生は、2014年に「はる動物診療所」を開業した。


……が、いざ蓋を開けてみれば実情は想像とは全く異なっていたという。


僕は大型犬が多いだろうと思っていたのですが、始めてみたら猫ばかりだった(笑)

「かかりつけ動物病院を持っていない猫の多いこと」と櫻井先生は苦笑混じりに語る。


でも東京都内にもグレート・ピレニーズやグレート・デーンといった大型犬がいるんですよ。そういう子たちが立てなくなると、大人の男二人がかりでも持ち上がらない。すごく困っていますよ。だから、往診が必要になるんです。

かつての実体験に裏打ちされているためか、その言葉は力強く響いた。



最後のケアまでしっかりと


櫻井先生が気を揉む瞬間は、診察中に限らず訪れる。

特に密なコミュニケーションが発生する終末期には、飼い主のケアも含めて診療を進めなければならない。


終末期医療で重要なのは、しっかりとした診療やインフォームドコンセントはもちろんなんですが、飼い主さんが「最後まで全部やってあげられた」って感じられたかどうかだと思うんです。

特にターミナルケアでは可能な限り、密に連絡が取れる環境を心がけてるとのこと。

勤務医をしていた時には、病院に来なくなった飼い主さんとペットが、どうやって過ごしているのか、看取りにどう向き合うのかは、見えていないところも多かった。往診では、亡くなる日の呼吸の変化も動画が送られてくるので、犬猫の病状もそうですが、飼い主さんの感情まで汲み取れるんです。

看取りと安楽死に関しても話してくれた。


僕は一般動物病院に勤めていた時に安楽死の処置を経験したことがなかったんですよ。他の先生がやっているのを一回見たことがあるぐらいで、安楽死を必要としている子自体がそんなにいませんでした。

だが、それはあくまでも一般の動物病院での話で、往診を始めてからは事情が変わったという。


往診だと安楽死を必要としている子を看ることが少なからずあるんです。扁平上皮癌で顔が半分崩れてしまっている猫とか、炎症性乳癌の痛みからずっと鳴いているような大型犬とか。二次診療施設から帰ってきて、打つ手がないような子は、何か家でできることがないか探して往診医に連絡くれるんですよ。

日々の診察の中で、苦痛を取り除く手立てがあまり残されていない症例は一定数いるようだ。

そういう子は「治すことができないから終わり」ではなく、ちゃんと「最後まで看切る」ところまで付き合ってあげないと駄目だなって思いました。

かかりつけ医や二次診療施設で「治せない」と言われて帰ってきた場合、大抵は飼い主さんとマンツーマンで付き合っていくことになるという。「病気が治らない」と言われた飼い主は、動物病院に行くことがなくなってしまう。


疼痛管理のために通院することもあるかもしれないが、「その一回の通院での移動や待ち時間が動物にとって負担になるのであればやめておこう……」と、そのように考える飼い主も少なからずいるのだ。苦しんでいればいるほど、動物たちは動物病院に来なくなる。


彼が一般動物病院で安楽死を経験することがなかった背景には、そのような事情も関係しているのかもしれない。


起きてる間中ずっと呼吸が苦しいとか、強い痛みがあるとか……そういう疾患を持っている子たちを見ていると辛いです。これは確かに「安楽死はダメだよ」とはなかなか言えないなと、僕は思います。

愛する自分のペットが苦しんでいるのに何もすることができない……。

このまま苦しみ続けて亡くなるのを待つしかないという状況は、飼い主にとってもペットにとっても辛いものだろう。


安楽死に関して、ここで簡単に是非を断言することはできない。

しかし、安楽死をするとしないとに関わらず、そういった選択肢があるという事実を把握しておくこと。

それ自体は決してマイナスにはならない。


ペットの有事に際して「何もできなかった」と嘆くのではなく、数多ある選択肢から「自らに最大限できることを選んであげた」という事実が救いに繋がるケースもある。


健康でずっと長生きするのが一番良いけど、それが難しいときには飼い主さんの希望に沿うように「最後まで飼い切らせてあげる」という方針は強く持っています。

そのように話す櫻井先生は、ただ診療するというよりは飼い主の相談にのることを意識しているのだという。

櫻井先生によれば、獣医師の本分は、適正に診断をつけ、選択肢と共に治療法を提示することにある。

だが、多くの動物を診なければならない一般動物病院では、一人一人にかけることができる時間には限りがあるため、純粋な診療を越えた「ケア」を十分に行うことは難しい。


病院だと時間がなくて、飼い主さんの考え方や心情を考慮するというところが抜け落ちやすいんです。でも、往診だとそこの部分をかなり細かく見ることができる。

例えば、今日明日でペットが亡くなってしまう可能性が高い飼い主に対しては「夜2時ぐらいまでは普通に電話に出るから、わからない症状があったら動画で送ってね」と伝えておくこともしばしばだという。


そうすることで、飼い主も納得して安心感を得ることができるのだろう。

ペットが苦しみ、自身もパニックになりそうな時に寄り添ってくれる存在がいる。

そのこと自体が飼い主にとっては大きな支えになる。

しっかりと飼い主さんに寄り添うことで落ち込みは少し緩和できます。「他にもこういう選択肢があったけど、僕が飼い主だったとしても今回と同じ選択肢を選んでいるから」と。亡くなった後に自分のやってきたことを、肯定してもらえることはとても大事だと思います。


寄り添うことの難しさ

往診獣医師は勤務獣医師に比べ、飼い主に深く寄り添うことができる。

一方で、それは往診ならではの難しさにも直結する。

往診では飼い主さんとの距離感をはかるのが難しいですね。特に終末期医療では、飼い主さんが精神的にも完全に寄っかかってくるので、メンタルが弱いと、きついと思います(笑)

往診では飼い主と一対一で長時間過ごすことになるため、必然的に診療時間も長くなりがちである。他のことを気にせずに診療を進めることができるのは大きなメリットではあるが、それが故に苦労する面もあるという。

飼い主に寄り添う。

言葉にすると簡単なことだ。

しかしその本質は、大切なペットの苦しむ姿を目の当たりにしたり、挙句の果てに失ってしまったりした人間の悲哀を受け止めることにあるのかもしれない。


だからこそ、心が強くなければ逆にその気持ちに飲み込まれ、心が折れてしまうことも起こり得る。

僕はマイペースに生きてるので、あまり寄っかかられても苦にならないんですよ。「牛みたいだ」って言われます(笑)

人と話すのが好きで、精神的に寄っかかられても苦にならないと語る櫻井先生。

彼にとって、往診獣医師は天職だったと言えるだろう。


これからの往診獣医療、その発展のために


インタビューの最後に今後の目標について伺った。

往診獣医師が増えてくれることを願っています。連絡取れる人がいっぱいできるといいなって。

一般動物病院で診療をしながら往診をする獣医師もいるものの、専業となると決してその数は多くないのが実情だ。


自分で往診開業する人が増えてほしいですね。 獣医師が複数人いる動物病院だと毎回先生が変わるから飼い主さんが離れちゃうとかあるじゃないですか。僕が誰かを雇う形だと、それと同じことになってしまう。そういうのは嫌なんです。

往診を雇用の一形態として扱う難しさはそれだけに留まらない。

勤務時間が固定ではなく、夜中にも依頼が頻繁に入ってくるような仕事だ。

そこにオンとオフの境はなく、従業員として雇用するにはリスクが伴う。


自分が診られる範囲の人だけを診て、周りには協力できる獣医さんがいて……診られる人が徐々に増えていくというのがベストかな。

自分の収入だけを考えるのであれば、従業員を雇い病院を大きくしたほうが収益を上げることは容易いはずだ。

しかし、それでは飼い主の必要に応えることができなくなってしまうおそれがある。

「往診開業する人が増えてほしい」と櫻井先生が迷いなく語る背景には、そのような想いも隠されている。

できることなら10km圏内に一人ずつ往診獣医師がいるとやりやすくなっていくと思います。そのための発信は欠かしていませんし、これからも続けていきます。

櫻井先生の望みは他にもある。


在宅医療について情報発信できるようになりたいですね。 良い商品があれば、診察時に飼い主さんに伝えているんですけど、自分で販売するのは大変なので毎回外部サイトを紹介していたんです。 ただ、責任を考えると自前のECサイトで購入できるようにしておいた方がいいなと思ったので、現在立ち上げ準備中です。

ペットの介護を例に挙げ、「介護時に必要なものや処置方法については少々特殊であるため、そうした情報をまとめておきたい」とも語った。


サプリメントやハーネスでも買って使ってみたら合わなかったり、箱買いしても多くは使わずに余らせてしまうことが、櫻井先生にとっても課題となっているという。

本当はフードやサプリ、装飾品は試供品などを用意して全部試せる方法があったら無駄がなくなっていいなって思うんだけど、いざやろうとすると大変なんですよね。 寄付品の譲渡も上手くまわるといいんですけどね。ぼくは飼い主さんから寄付された物資を近くの保護施設に持って行ったり、Facebookなどに載せて配ったりしますが、個人だと限界があります。

「でも、最終的にはそういうこともできるようにしたいですね」と意気込みを滲ませた。


物品販売のみに主眼を置くのではなく、飼い主がターミナルケアについて情報を集められるサイト作りをしていくことも彼の目標だ。

そういったサイトができることで飼い主はより気軽に本質的な情報にアクセスできる。

往診自体が通院より気軽に診療を受けられる手段であることも考慮に入れると、相乗的に獣医療環境は向上していくことが期待される。

人と話すのが好きで、打算なく飼い主に寄り添う櫻井先生。

そんな彼だからこそ、これまで多くの人に信頼され、支えとなることができたのだろう。

そして、これからも多くの人の必要に応え続け、往診業界の発展に寄与していくに違いない。


もっと知りたい! 櫻井先生ってどんな人?


どのような学生生活を送っていましたか? 思い出などあれば教えて下さい。

中学校ではバトミントン部に入部して、めちゃくちゃ走ってました。陸上部より走ってたんじゃないかな(笑) この頃からずっと親戚の家で水道工事のアルバイトもやっていました。 戸建ての周りに水道管を通す側溝を作るんですけど、ショベルカーが入らないからひたすら手掘りしてましたね。社長が良い人で、お客さんへの対応や、物の整理の仕方など、その時に教えてもらったことは今でも役に立っています。 高校に関しては男子校が嫌だったので共学に入ったんですけど、結局男とばかり遊んでたので青春みたいなものは何もないまま終わりました(笑)遅刻魔で、麻雀ばかりしてたので、先生には目をつけられていましたね(笑) あまり真面目な生徒じゃなかったですけど、今でもその先生とは連絡を取っているので、良い思い出ですね。 大学には一浪して入りました。 現役の頃はセンター試験の夜にも麻雀をやっていたので、「そりゃ落ちるよな」と(笑) 大学では人形劇サークルに入ったり、友達と日本中を貧乏旅行したりしていました。 自転車で行けるところまで行こうとしたときは、箱根・小田原のあたりで自転車がパンクして置いて行った、なんてこともありましたね(笑)

飼い主の方々に向けてメッセージをお願いします。

病院に連れて行くべきか悩んでうーんって思いながらずっと過ごしている人は、ぜひ往診を利用してみてください。徹底的に話して納得してもらって、看取った後も腑に落ちるようにしたいと思っています。

往診をこれから始めてみたい獣医師の方々に向けてメッセージをお願いします。

楽ではないですし、一般動物病院と大変なところが全然違うんですけど、飼い主さんにはすごく頼りにされるのでとてもやりがいのある良い仕事だと思います。 やりたい人は連絡ください! 僕が話せることなら何でも伝えますので!


動物病院紹介


名称:往診専門 はる動物診療所

獣医師:櫻井崇史

往診エリア:東京都三鷹市、武蔵野市、調布市、世田谷区、杉並区等

HP:https://haru-ah.tokyo/





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