• 岳野克己

仕事と家庭の両立! 険しい道を歩み続ける獣医師(山﨑未来先生)

獣医師と家庭の両立。その実現の障壁は低くないが、壁を乗り越えようと奮闘する獣医師たちがいる。山﨑未来(やまざきみき)先生もその一人だ。そんな彼女のこれまでの歩みを辿っていきたい。(2020年11月15日取材)


うさぎを夢見た獣医師


山﨑先生が初めて抱いた夢は、それはそれは途方もないものだった。


うさぎになりたかったんです(笑)



誰しも一つや二つは記憶にあるだろう。ちいさな頃のかわいらしい夢だ。そんな夢見る少女が驚愕の事実に気づくまでに、さほど時間はかからなかった。


「人は、うさぎにはなれない!」


それならば「うさぎに一番近い職業に就こう!」と獣医師を意識し始めたのが、小学一年生のことだった。動物が好きだったことや、両親が医者であり、医療に関係の深い家庭で育ってきたことも、獣医師に興味を抱いた理由だ。


彼女は他の職業に目もくれず、一筋に獣医師を目指し続けた。


成長しても獣医師への志は消えることなく、中高と勉学に励んだ。一浪を乗り越えて北海道にある獣医系大学へと入学し、努力の末に獣医師免許を取得した。


小学生の頃に抱いた夢を追いかけ続けるのは簡単な事ではない。どれほどの人が幼い頃の夢を実現させているだろうか。どんな夢を思い描いていたのかを覚えていないという人も相当数いるのではなかろうか。大多数がその途上で諦めたり、他に興味を移したりしてしまう中、山﨑先生は初志を貫徹して夢を叶えたのだ。


この一途さの背景には山﨑先生の性格がある。


私は相当頑固です。人一倍頑固だと自負してます。物事に夢中になれるし、自分が正しいと思ったらその道を貫こうとします。

自分が信じる道を脇目も振らずに突き進む。少し小突いたくらいでは動じない。「人一倍頑固」と語るその性格が、険しい道のりを乗り越えようとする彼女の背中を押したのだった。



子どもの存在が山﨑先生に与えた変化



大学を卒業し札幌市内の動物病院に三年半勤務した後、妊娠・出産を機に退職。子どもが半年の時に夫が茨城に転勤となったため、山﨑先生も茨城へ移動した。子どもが八ヶ月の時に復職したが、勤務先の病院を見つけるのには苦労したと語る。


田舎だったので子どもは保育園に入れましたが、勤務できる病院自体が少なかったです。

幼い子どもを世話しなければならない山﨑先生にとって、パートとして勤務できることも重要であり、外せない条件だった。保育園や家との距離の近さなど立地的な条件を考慮すると、選択肢の幅は狭まっていく。そんな中でも条件に合う病院に勤務できたのは幸運だとも言えるだろう。

茨城の動物病院に一年余り勤めた後は東京の病院へ移り、そこで一年半勤めた。


このように子育てと獣医師を両立する山﨑先生。子どもを持つようになり、診察に対する意識が変化したという。



わんちゃんや猫ちゃんは飼い主にとっては小さな家族なので、心配なことがあれば当然知識を持っている人に聞くと思いますし、過剰に心配されることもありますけどそれは当然のことだと思います。

「家族」が体調を崩し動揺している飼い主に対し「こうするべき」と意見を押し付けるのではなく、寄り添うことを彼女は意識している。あくまで飼い主のアドバイザーとして選択肢を提示し、飼い主と一緒に最適な手段を考えるのが彼女のやり方だ。


山﨑先生が語るように、飼い主にとってペットは「家族」である。その身に何かがあれば平静でいるのは難しい。彼女もパニックになっている飼い主と対面した経験がある。


最近の話ですが、ずっと目をパチパチさせている子がいたんです。私がたまたま目の形が変なのに気づいて、そのまま預かって検査させてもらったら目に腫瘍があったんです。

眼球摘出手術が必要だと判断し、飼い主に事情を説明したところ、飼い主はパニックになり怒りをあらわにした。愛する家族の眼がなくなるとなれば無理もないことだろう。

だが、山﨑先生たちが冷静さを失った飼い主に向き合い、眼球摘出の必要性を言葉を尽くして説明したところ飼い主も一定の納得を示し、施術が行われた。


施術後、飼い主が告げたのは感謝の言葉だった。


「ありがとうございました」ってすごく感謝されて。「見つけてくれなければ結果も変わっていた」と。

山﨑先生たちが飼い主の怒りを前にして怖気づき、適切な処置を示してなければ、飼い主は家族を失い悲嘆に沈んでいたかもしれない。ためらわずに最適解を示し続ける姿勢が、飼い主とその家族を救ったのだ。



「家庭を持つ獣医師」としての歩み方


自分なりの診療ポリシーを持っている山﨑先生。キャリアについても彼女なりの歩み方がある。


みんなが自分のライフステージを優先すべきだと思っています。

就業に際しても勤務先の顔色を伺うのではなく、自身の人生を第一にする。それが彼女の大切にしていることだ。


(女性が仕事との兼ね合いで)出産するタイミングを考えないといけないとか、それはちょっと違うんじゃないかなって。自分自身のことだから、それほど周囲の顔色を伺う必要はないんじゃないかなって思っています。



妊娠や出産を伝えると嫌な顔をされることもあり、出産を考えている女性獣医師はそうした動物病院を避けるべきだと山﨑先生は語る。勤務する前の段階で、子育てへの動物病院のスタンスがはっきりとわかる場合もあるという。


東京の勤務先を選んでいる際、面接の時には「小さい子がいて時間が取れないので、申し訳ないですが短時間で勤務させていただきたいです」と言うようにしていました。今の病院は理解がありましたが、もう一つの病院は「そっちがお願いしてるんだからこっちの都合に合わせろ」という感じでした。

結局、後者の病院へは行かずに現在の病院に勤めることとなった。


仕事を理由に家庭を諦めるのではなく、両立させようと歩み続けてきた山﨑先生。職場選びには苦労し、心無い言葉を投げかけられたこともあった。

しかし、いかなるプレッシャーに晒されても「人一倍頑固」な彼女は人生の主導権を手放さなかった。


うさぎにはなれないことを知った少女は一途に獣医師を目指して進み続け、晴れて獣医師となった。そして結婚し、子宝にも恵まれた。


「夢を叶え、温かい家庭も手に入れた」と聞けば、その人生は幸せなものに思えるかもしれない。しかし、夢と家庭の両立は私たちの想像以上に苦労を要するものだ。


それでも、彼女は立ち止まることなく自分の足で歩み続ける。その行く先に多くの幸福が待っていることを祈らずにはいられない。




もっと知りたい! 山﨑先生ってどんな人?


Q:うさぎになるのが夢だったそうですが、うさぎを飼っていたことがあるのですか?


飼ってないです(笑) ただただフォルムが好きで、「うさぎいいな」って(笑)


Q:大学生活のことを教えてください。


私は一人っ子で、「勉強できるのは当然でしょ」みたいな感じで厳しい教育を受けてきました。大学生の時にも門限があって、夜遅くまで飲み会をするときは、「友人宅に泊まりに行く」と友人の名前と住所を書いた紙を渡してごまかしていました。 大学で頑張っていたのはテニスです。テニスサークルに一年目で入りましたが、飲み会中心で私がやりたいこととは違ったので、テニススクールに週三で通ってました。 父と母がテニスをがっつりやっていて、「テニスやったら?」って高校の時にも言われていたんです。高校では結局ハンドボールをやりましたが、テニスにも興味があったので大学で始めました。


Q:これまでの働き方と今後の目標について教えてください。


茨城で勤めていた時は、三時半くらいに上がって四時くらいに子どもを保育園へ迎えに行っていました。元々多忙な中に私が入ったので、(早い時間に退勤しても)あまり嫌な顔はされず、いるだけで感謝されてました。 今は平日に週五で働いています。 ただ、2020年の4月は新型コロナ(Covid−19)の影響で全然勤務できなかったんですよ。本当は大学附属の動物病院にも週一で行くことになっていたんですけど、それも行けなくなりました。 保育園が開いてなかったので娘と一緒にいないといけなくて、仕事に行けないことがすごくストレスでした。今は仕事できてるのでストレスは減ってます。 今後の目標……これからも勤務医として頑張っていこうかなと思っています。開業とかは考えていないです。


Q:飼い主の方へのメッセージ


獣医師が上でもないですし、逆に飼い主さんが立場的に上でもありません。 そこは平行だと思います。なので、飼い主さんがへりくだって獣医師の顔色を伺う必要はないですし、もちろんこちらもそうする必要はないと思っております。 気になることや不安なことがあれば自分が納得できるまで聞いていただけたらと思います。
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