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  • 山口祥兵

手作り食の専門家、ペットの最期に何想う?(chicoどうぶつ診療所 往診専門獣医師 林美彩先生)

更新日:2021年2月4日

往診専門獣医師として、カウンセリングや食事、体に優しい治療に着目するchicoどうぶつ診療所の林美彩(はやしみさえ)先生。診療業務に勤しむ一方で、『獣医師が考案した長生き犬ごはん』『獣医師が考案した長生き猫ごはん』(世界文化社)といった著書の出版や、SNSでの情報発信なども積極的に行っている。今回はそんな林先生がどのような道のりを経て獣医師となり、いかにして往診という形にたどり着いたのか、また、どのようなことを大事にして診療に臨んでいるのかをインタビューさせていただいた。(2020年10月26日 取材)


 

獣医を目指して猪突猛進……?

私が生まれる前に親が拾ってきた「チコ」っていうわんちゃんがいたんですよね。小さい頃からその子とずっと過ごしてました。「chicoどうぶつ診療所」っていう病院名も、その子の名前が由来です。


そのように語る林先生は、埼玉県生まれ、北海道育ちの女性獣医師だ。獣医師の親を持ち、5人きょうだいの長女として生まれた彼女は、幼少期から動物と共に育ってきた。埼玉時代で既に3匹の犬を飼っており、中学生の頃に家族で北海道へと引っ越してからも動物は彼女の生活の一部としてあった。



自身の動物病院の名称も子供の頃にずっと一緒にいた子の名前から取ってしまうほど、林先生の幼少期において動物が大きな存在であったことがうかがえる。また、当時は他にもペットを飼っており、

動物がいなかった時期はないですね。いないと落ち着かないというか。


と、当たり前に話すあたり、根っからの動物好きでもあるのだろう。親が動物病院に勤務していたことも手伝ってか、物心ついた時には獣医師になることを意識するようになっていたという。しかし、その進路選択は必ずしも順風満帆とは行かず、他の道へ舵を切ろうとを考えることもしばしばであった。


高校の時なんかは別の道を行ってみようかと考えていましたね。獣医学部に合格するほどの学力がなかったので、それならばもう違う学部に行ってしまおうと。

獣医になりたい。

言うは易いが、その実現は思いのほか困難だ。

ご存知の方も多いだろうが、獣医師になるためにはまず全国に十数箇所しかない獣医系大学に入学しなければならず、競争は今なお熾烈を極める。そうした中で、林先生のように、熱意はあれど学力面で諦めざるを得ないというケースは多々あることだろう。

ひとたび諦めの境地に入ってしまった彼女は、自らの進路について考えあぐねることとなる。


東京の大学に動物のことを学べる学部があったので、獣医が無理ならそこに行こうとしたんですけど……。

獣医の夢はなかば諦めつつも、動物に関わっていたいという気持ちは持ち続けたのだろう。しかし、それも諸般の事情により立ち止まることを余儀なくされた。

その後も林先生は惑いの中で「迷走」を重ねることになる。


私、猪突猛進型なので、思い立ったら考えずにすぐ行動しちゃうところもあったりします(笑)


そのように自己を形容する林先生。その言に違わず、「ピアノをやっていたから」と音楽大学を目指したり、「中学の時に合唱部に入っていたから」と「うたのおねえさん」に憧れたり、様々な道を探り続けることとなった。


親には「専門の先生についてもらっているわけではないから難しいでしょ」とか「狭き門だから無理でしょ」とか言われて……結局は獣医の道を歩むことになっていましたね。

結果として親に押される形になったとはいえ、そこは猪突猛進な彼女のことだ。一念発起して突き進み、晴れて北海道にある大学の獣医学部に入学することができた。

そこで6年間勉学に励んだ林先生だったが、獣医師への道のりはやはり険しかったようだ。獣医師免許を取得するための国家試験が二度目の壁として立ちふさがったのだ。最初の受験では勉強が足りず、惜しくも不合格となってしまう。

しかしながら、そこで腐ってしまう彼女ではなかった。少し時間はかかったものの、動物病院で実習生として研鑽を積みながら浪人期間を乗り越えて無事に合格を果たすことができたのである。

 


往診に生きる

 

ようやく望みを叶えて獣医師となることができた林先生であったが、最初は複数の病院を転々としていたという。


獣医師として最初に勤めた大宮(埼玉県)の病院は良い病院でした。院長がすごくおおらかな先生で、私がやりたいって思ったことは何でもやらせてもらえました。しかも、「何かあったら僕が責任を取るからね」と言ってくださるすごく良い先生でもあったので、そこには約3年間いました。

その病院は自然診療に重きを置いていた。元々、学生時代に飼い始めた犬がきっかけで「食事」にこだわっていた彼女にとって、一般の西洋的な診療よりも鍼や漢方といった東洋医学的なものに興味を抱くのはあまりにも自然なことだったのかもしれない。


そのままそこにいてもよかったんですけど、もう少し西洋(獣医学)を学ぶ必要があると考えて、辞めました。


大宮の病院を辞めた後、都内の病院など三つの病院を渡り歩いたが、いずれも林先生に合う職場ではなかった。ここでも、動物の扱い方がずさんであったり、労働条件が当初提示されたものと異なっていたりと、随分な目に遭った模様である。


西洋獣医学をガッツリやれたのは良かったんですけど。回転率を上げないといけないので、診療時間を短くする、なるべく余計なことは喋らないとか、一人当たりの単価を出されたりもしました。それで「何でこんなに単価が安いの?」みたいなことを言われたり。売りたくないものを売らないといけないといったジレンマもあったりして……。

合わない職場にはとことん馴染めないものだ。それは動物病院とて例外ではなく、たびたび林先生を苦しめることとなった。以前から懇意にしていたサプリメントメーカーに声をかけられたのはそんな時だった。今でもそちらのメール応対などの相談業務は続けているとのことだ。


往診という形態を選択したのは、その頃のことであったという。サプリメントの相談応対からいきなり往診に繋がるとは考えにくいところであるが、一体どのようなきっかけがあったのだろう?

私、東洋医学や薬膳について勉強したいと考えていたんですけど、それが出来ていなくて。そんな時に、往診をやっていらっしゃる先生の東洋医学のセミナーを受けて、「あ、こんな働き方があるんだ」というのを知ったんですよね。

林先生はこのセミナーに感銘を受け、東洋医学の勉強を始めた。動物と触れ合う機会のないサプリメントメーカーでの仕事をこなす中で、原動力であった「犬や猫たちに会いたい」という思いも再び芽生えはじめ、今までに学んできた代替療法を取り入れている病院を探した。


いくつかの動物病院に問い合わせしてみたんですけど、「代替療法やってません」って言われることが多くて。どうしようって思っていたんですが、往診なら届出をすれば診療施設がなくてもすぐできるので。「じゃあ、やっちゃお!」と。私、猪突猛進なので(笑)

自らを、「猪突猛進」と表現する林先生。このような性格こそが、林先生が苦難を乗り越えて獣医師になり、往診を選ぶという決断をすることができた根本の理由なのかもしれない。紆余曲折を経ながらも、自分のやり方で動物と深く向き合っている彼女は、そこはかとない自負に満ちているようでもあった。


次の章では、そんな彼女が往診をする際に大切にしていることや信念に焦点を当ててお伝えする。


 

往診1年生の苦難……往診の難しさ!


持ち前の「猪突猛進」の精神で往診という道に進むことを決意した林先生だったが、すぐさま往診ならではの難しさに直面することになった。


ねこちゃんが私のことを警戒して隠れてしまったり、わんちゃんが吠えてきたりすることもしばしばで、始めたばかりの頃はそこが大変でした。

動物病院とは違って、自宅はペットのテリトリーだ。そこに白衣をまとった見知らぬ人が入って来た、となれば警戒してしまう動物たちもいるだろう。

林先生はそんな犬猫たちに信頼してもらえるよう、一計を案じた。


私、白衣を着ないようにしてるんです。近所の人が遊びに来たくらいの体で、「やっほー!」みたいな感じでお家に伺うようにして、おやつもあげるようにしたら、嫌がる子も少なくなりました。

いくらペットの日常空間とはいえ普段から玄関先に知らない人が来ることはあるだろう、と林先生は語る。犬猫たちも知らない人がやって来ること自体に全くの不慣れというわけではないのではないか。往診の場合はそこに「白衣」という要素がプラスされるため、余計にペットたちの「非日常」を演出してしまって、警戒感を抱かせているのではないか。


そのように考えて、あえて「白衣を脱ぐ」というやり方で、動物たちに寄り添いながら診療を行っているのだ。


往診ならではの難しさはこれだけではない。


たくさんの荷物を抱えて移動するのは大変ですね。遠いところになると、片道3時間くらいかかるんですよ。

そう、移動にも苦労がつきものなのだ。

動物病院で患者さんが来るのを待つのとは違って、往診の場合は自らが現地に行かなければならない。この当たり前のことが時として重荷となる。特に、林先生のように車を持たず、電車や徒歩で移動する方にとっては、一件一件の労力が段違いだろう。

それでも、


車がなくても、その日くらいプチ旅行気分で。電車に乗るのも嫌いじゃないので、「今日は何線に乗れるかな?」とかウキウキ気分で行ったりします。

と、ポジティブに話してくれるあたりはさすがと言うよりほかはない。人によっては、ここに彼女の強さを見て取ることもできるだろう。



 

ペットの最期に臨んで……


このように、往診にも様々な苦労が付きまとうようだが、林先生はどのような思いで往診を続けてきたのだろうか。


ある先生から「獣医の仕事って何だと思う?」という問いを投げかけられたことがあります。

読者の皆さんならどう答えるだろうか。「動物を治すのが獣医の仕事だ」と答える方が多いのではないか。当時の林先生もそのように答えた。しかし、帰ってきたのは意外な返答だった。


「それは間違ってる」って言われました。「動物には元々自分で自分を治す力があるんだから、それを人間がどうこうしようだなんておこがましい。彼らが元々持っている力を引き出してあげたり、サポートしたりするのが獣医の仕事なんだよ」って言ってくださったんです。それを聞いて「あ、なるほどね」と腑に落ちて……。

獣医はあくまでもサポート役だ。

その先生の言葉をきっかけに、林先生の中にある思いが芽生えた。


「主治医は飼い主さんであってほしい」というのは、すごく思います。

ペットと過ごす時間が一番多く、一番身近でその子のことを見ていられる飼い主だからこそ、日頃からしっかりと勉強をしておいてほしい。きちんと調べた上で、その子のためを思って一つ一つの選択をしてほしい。

その選択を後押しするために、林先生は獣医師としてできることをする。

そういった意味で「主治医は飼い主」なのだという。

彼女は普段の往診の中でも主治医たる飼い主を尊重し、彼らとのコミュニケーションを重要視しているという。


話にしっかり耳を傾けることで、飼い主さんの気持ちが軽くなります。飼い主さんの気持ちが軽くなるだけで、ペットの体調が変わることがあるし、飼い主さんの話の中にヒントがあることもあります。なので、しっかりと話を聞くことに努めてます。一件当たり大体2時間半から3時間くらいかかりますね。だから、時間の心配をせずに飼い主さんとお話をするために、往診は一日一件と決めているんですよ。

診療とは直接的な関係のない雑談話をすることもある。時には家族の話も聞いたり、相談役になることもあるという。しかし、そのような話の中にもヒントが隠されていることがある。


「話を聞く」というのは、しっかりと私の中でポリシーとしてありますね。いくら時間をかけても良い。

飼い主の方とコミュニケーションは診療時だけでなく、ペットが亡くなってしまった後にも行われる。これについて、林先生が「一生忘れないだろう」と語るエピソードを聞くことができた。

FIP(猫伝染性腹膜炎)に罹患した猫を飼っている夫婦の家に往診に行った時の経験だ。


お家に伺った後、ご夫婦ともに大変心配されていたので、猫ちゃんの様子に関する連絡を多くいただきました。

ご夫婦がそれだけ愛猫のことを心配していたということだろう。林先生がご夫婦の心に寄り添ってケアしてあげたところ、少しずつ連絡の件数が減っていった。すると、飼い主の方の気持ちが落ち着いたことを察してか、猫の症状も少し落ち着いたようで、「ごはんを自分で食べました」といった明るい連絡も来るようになったという。

しかし、最期は突然訪れた。


奥様から「この子、脱水している気がするから入院させたい」という連絡が来たんです。


入院をさせるとなると、その間は離れ離れになってしまう。

その子の性格を考えると、飼い主と離れることも負担になるだろう。

その子は、お父さん、お母さんと離れたくないんじゃないですかねって。だから、もし入院させるとしても、夜は一緒に迎えた方が良いんじゃないかと提案していたんですけど……。その子は翌日の夜、ご家族がお迎えに来る前に症状が急変し、亡くなりました。

ご夫婦は入院させたことを強く後悔していたという。

まだ生後半年ちょっとだった。

それが、あっという間にいなくなってしまった。

短い期間でもうちにいてくれたのに、最期を看取ることができなかった。

やっぱり連れて帰ってくれば良かった。

後から後から押し寄せてくる、後悔の念。

林先生は押し潰されそうなほどに苦悶するご家族を前にしても話すことを止めなかったという。


「入院させるという選択も、その子のことを想ってした選択だから、そこは後悔しちゃだめだよ」って話はいつもしていました。その子だって、ご夫婦が一生懸命考えたことも、簡単に答えを出したわけじゃないこともきっとわかっているはずだから。

亡くなった後も数日間にわたってそうしたやり取りを続け、立ち直っていく人々の姿を見てきたのだ。


どんな亡くなり方をしても、後悔って絶対につきものだから。

たしかに、最愛のペットの死に臨んで後悔しないことなどないのかもしれない。どれだけ手を尽くしたとしても、心のどこかでは「ああすれば良かった」、「こうするのが正解だった」という思いが去来することだろう。

それでも、ペットたちは飼い主の後悔など知らずに、「ここで育って良かった」という幸せな記憶を持って旅立つのではないか。だとしたらそこは後悔をするところではないのではないか。

末期の子を診ることが多いためか、そういった話をする機会も多いのだという。

ペットが亡くなってしまった後のコミュニケーションは治療と直接関係があるものではない。それでも、幸せな思いを残すために、飼い主の方に寄り添うことをやめない。林先生はただ動物を治療することばかりを考えているわけではなく、ペットの最期をいかに安らかなものにするかを考えている。


一回往診して、その後、一度も会わずに亡くなっちゃう子とかもいるんですよね。それでも一回お会いして、やり取りをして、先生に来てもらえて良かったって言ってもらえると、「ああ、やってきたことは間違いじゃなかったんだな」って思います。

往診の良さについて尋ねると「飼い主さんとじっくりお話できるところ」と即答された。悩み抜いて辿り着いた「往診」で、自分が本当にやりたかったことが実現できたのだという。

今回のインタビュー依頼の返答にも、往診について「少しでも多くの飼い主さんに色々な選択肢があるということを知っていただく機会になればと思います。」とメッセージを残してくれた林先生。常に飼い主とペットに寄り添おうとするその姿勢は、これからも多くの家族を救っていくことだろう。


 

もっと知りたい! 林先生ってどんな人?


青春時代を振り返って……

印象的な思い出についてお聞かせください。


YOSAKOIですね! 絶対、YOSAKOIですね! 踊り子をやっていました。北海道がソーラン節で、高知県がよさこいで、それをがっちゃんこしたのが、YOSAKOIソーラン。鳴子っていう楽器を持って、ソーラン節が曲の中に入っていればOKなんですよ。ダンスに近い感じですね、最近は。 札幌で大きい大会があるんですけど、大学2年、3年生の頃にファイナルまで行きました。 合宿もありました。6月(札幌の大会)が終わった後に遠征もあるので、仙台までフェリーでみんなで行ったりとか。フェリーでは酒盛りですよ。もう大変(笑) 楽しかったです。 YOSAKOIがなかったら私、大学6年までいなかったので。

YOSAKOIをやっていて特に良かったことは?


色んな刺激があるので、それが一番良かったですね。同学年の獣医の繋がりじゃなくて、(他学部も含めて)先輩とか後輩とかとの縦の繋がりができたので。 今でも仲の良いグループがあって、「お誕生日おめでとう」ってみんなでやったりします。 こっち(関東などの他の地方)に出て来る人って少ないので、YOSAKOIという括りがあると、どの地方に行っても必ず誰かがいる。 やってて良かった。本当に。

往診ではどんなことをしているの?

往診で行うことについて教えてください。例えば、お灸を乗せたりすることもあるのでしょうか?


あります! 温灸器にも色々な種類があるんですけど、私は邵氏温灸器(しょうしおんきゅうき)というものを使っています。煙もあまり出ないし、火傷もしにくいし、人間も使えるので。人間によく使われているものは、台座の上に藻草が乗っているものが多いですが、これは炭をたてて火をつけるという形で使います。


お灸を乗せられて、嫌がる犬や猫はいないのでしょうか?


最初は怪訝な顔をする子はいます。「え、何? お前何してくれてんの?」みたいな。でも、気持ちいいということがわかると「もう、好きにして」と、普通に乗せさせてくれます。初回はちょっとどきどきしていても、二回目になると大丈夫になる子はいます。

食事に関して飼い主さんに指導をすることもあるのですか?


「どんなに他の治療とかしてても、毎日食べるもので身体が作られるので、そこを立て直していかないとあまり意味が無いよね」っていうお話をします。 ただ、お時間がない方はちょっと手作りが難しいので無理強いせず、「フードをこういうものに変えてみて」とか、「あげる前の一工夫でこういうことをしてみるとちょっと変わると思うよ」とか、各家庭に合ったアドバイスをしてますね。


手作り食に関して、著書(※)を出版されたり、SNSで発信なされたりしていますが、どういった考えでこのような活動をしていらっしゃるのでしょうか。

※『獣医師が考案した長生き犬ごはん』、『獣医師が考案した長生き猫ごはん』(世界文化社)

やはり食事について多くの方に知ってもらいたかったんですよね。食事を変えてからすごく元気になった子や、注射の本数を減らすことができた子、身体が引き締まってきた子をまじまじと目の前で見てきたので、これをもっと広めたいなと思って。  手作り食の本は既に存在していますが、難しい食材使っていることもあって……。私もそんなに料理得意でもないので、スーパーで手に入る食材で気軽に作れるもので、かつ薬膳的にも効能がある手作り食のレシピを載せたところ、飼い主さんにも喜んでいただけました。  SNSも結構、飼い主さんたちの方がすごいので。ワンプレートメニューとかあるんですよ。でも、そういうの私作れないので、SNSにアップしているのも、もう本当に簡単なものです。必要最低限の材料で作って、あとはドライフードもあるから、大体栄養バランスが取れてるかなと考えて載せるようにはしています。

林先生お手製の手作り食
林先生お手製の手作り食

林先生からのメッセージ


獣医師の中には働き方で悩んでいる方も多いと聞きます。そういう方にとって、林先生の来歴や働き方は希望や気づきをもたらすのではないかと思うのですが、「獣医師という働き方」について先生のお考えをお聞かせください。

獣医さんの仕事には色々な選択肢があります。臨床だけではなく、公務員や研究室など色々あります。 けれど、自分にとって合うか合わないかというのは、結局そこに飛び込んでみないとわからないと思います。それで、飛び込んでみて合わなかったら、すぐ辞めてもいいと思います。合わないと思ったら、次の選択肢に行ってほしいなって。その人を求めている病院はもしかしたらまだ他にあるんじゃないかというのもあるし。 もし、合う病院がなければ、自分で病院を作ることも一つの選択肢だと思います。大きな動物病院を立てるとなったら難しいけど、往診って届出一つだけでできるから。そういうのをやってみてもいいんじゃないかなって。 他にも、産休明けであまり長時間働けない獣医さんたちを受け入れている病院なども増えてはきているので、病院側に提案をするのも一つの手だと思います。「こういう働き方がしたいです!」って。だから、諦めずにやってほしいな、自分が思う道を進んでほしいな、と思います。そうすれば、きっと道は開けるんじゃないかなって。


飼い主の方に向けて伝えたいことはありますか?


やはり、「かわいいだけじゃ飼えないよ」というところだと思います。 もう本当に、預かった命、迎え入れた命なので、最後の最後まで看取ってほしいなっていうのはありますね。 あとは、飼い主さん自身もしっかりと勉強してほしい。やはり飼い主さんが主治医であってほしいから。なぜか動物病院で下された診断については、何も吟味をしない方が多いです。「この子の病名はこれです。抗がん剤を投与しなければいけません。どうしますか?」と獣医師に聞かれて、「お願いします」って。そこをちゃんと調べて、色々な先生のお話を聞いたり、自分で勉強をしたりすることによって新たな道筋が見えてくることもあります。私、できれば病院を三つくらい掛け持ちしていてほしいんです。サードオピニオンくらいまであっても良いです。飼い主さんが選んだ選択肢に沿って、獣医師ができることをするという形が良いと思います。

動物病院概要


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